僕の備忘録

今日という日を忘れないための、備忘録です。

帰宅、迎える夜

 このような状況でも、家は多少ものが落ちた程度だと思っていた。無事家に着くと、皆外にいた。長男が飛びついてきた。自分を残して皆死んでしまったのではないかと不安になっていたらしい。お互いの無事を確認しあったのち、家の中を覗くと、信じられない光景が広がっていた。

 家中のものが散乱しているとか、そういう程度の話ではない。壁は剥がれ落ち、窓は割れ、瓦が落ち、食器棚が倒れ、皿という皿が割れ、歪んだ襖は開かず、まさに惨状だった。僕らは気が付かなかったが、1度目のアラームが鳴った時、震度5程度の地震が起きていたらしく、その時点で一旦外に出ていたとのことだった。1階の寝室や台所、2階部分は悲惨なもので、もし地震が起きた時このいずれかの部屋にいたらきっと助からなかっただろう。余震があったおかげで、命が繋がった。

 家の中に取り残してきたものがたくさんあるが、余震による崩落に飲み込まれたら、命はない。震度3〜5の余震が絶えず続く中、家の中に入るのはあまりに危険すぎた。本当に必要そうなものだけ取りにいく、緊急地震速報のアラームが鳴るたび急いで外に出る、その繰り返しだった。

 午後5時30分を過ぎたあたりから、冷え込みが急に厳しくなった。夜が迫っていた。街灯などといった頼れる明かりはない、崩落の危険がある家には入れない、しかし寒さを凌ぐ術を持たないまま夜を迎えれば、次に訪れるのは凍死だ。なんとか家の中から無事な毛布などを持ってきて庭に放り出し、一先ず車の中で暖を取った。緊急地震速報が鳴り止まない。揺れを耐えることはできるが、車の中で暖を取っていても、いずれガソリンが尽きる。ふと、外の物が湿っていることに気づく。慌てて毛布に触れると、毛布が夜露に濡れていた。このままでは貴重な毛布も使えなくなってしまう。急いで毛布を車の後ろにしまいこむ。

 時刻はまだ午後6時にもなっていなかった。凍えるような寒さの中、満点の星空が広がっていた。車の中で夜を明かす、この非常事態であればそれも致し方ないといえばそうなのだが、4歳と2歳にそれを強いるのは、あまりに過酷だった。子供達だけでも、ちゃんと横になって寝かせたい。幸い、中能登中学校が避難所として開設されたと町内放送で流れたため、とにかく僕らは避難所へ向かうことにした。